子供の頃、祖母は私をずいぶん可愛がってくれました。過保護だったことも多々ありましたが、逆に厳しい面もありました。
そんな祖母が常に言っていたのが、孔子のことばでした。「己所不欲勿施於人(己の欲せ不る所人に施すことなかれ)」でした。
…自分がして欲しくないことは、人にもしてはならない…と。
もちろん、子供ですから、孔子のことばとしてインプットされたのではなく、祖母のことばとして刷り込まれていました。孔子のことばだと知ったのは大きくなってからのことでした。
今マナーを伝える仕事に携わっているのも、故祖母のおかげかもしれません。
☆自分がされて嫌だったことは人にもしない。
☆相手の身になって対処する。
しかし、それには想像力が要求されます。自分に経験のないことでも推し量れる能力が必要です。また、その能力には“個人差"と“限界"があると思われます。
以前、日本盲人連合会の音訳をしたことがあります。音訳とは、目の不自由な人の目の代わりに書物を読んでテープに入れることです。その時、実際に目の不自由な方のお話を伺う機会が多々ありました。その方々の話を伺って初めて知ることがたくさんありました。考えさせられることがたくさんありました。
私は、アイマスクをして白杖を持って歩くという体験をさせて頂いたことがあります。杖がなかったら3歩目は踏み出せませんでした。杖をついても恐怖感は拭えません。室内の安全な場所での体験です。車も走っていないし、危険な障害物はない所でです。それなのに…。これが実際の道路や駅のホームだったらどんなに怖いことでしょうか…?
マナーの講座の中に【公共のマナー】の単元があります。その中には体の不自由な人やお年を召した方への接し方についても触れています。「相手の身になって」とはいえ、どこまで相手の身になれるのでしょうか…。経験のないことは、特に思い違いをすることもあるでしょう…。よかれと思ったことが却ってあだになることもあるでしょう…。
孔子のことばをここでもう一度、読み返してみます。
子貢問いて曰わく、「一言にして、以て終身これを行うものありやと」
子曰わく「其れ恕乎。己の欲せざる所人に施すことなかれ」(論語 衛霊公より)
「恕」の意味は
1.ゆるす
2.おもいやり
です。
ここからは、usagiの解釈になりますが、
こちらが「おもいやり」の【恕】で接していたら、万が一、相手の欲っするところと違っていても、相手の気持ちを推し量ることに限界があったとしても、今度は受ける側は「ゆるす」【恕】で受けとめること。
一方通行の【恕】から相互通行の【恕】になった時に本当のマナーの姿が見えてくるのではないでしょうか(^_^)
マナーは堅苦しい、ちょっと緊張するというようなイメージを取り除き、【おおらかな優しさ】で満たされた時こそ、孔子の【恕】がいきるのではないでしょうか。
私はマナーを学びにいらっしゃる方々の第1回目の講座で、この孔子の【恕】の話をしています。
冠婚葬祭マナーコンシェルジェの日記 作者 usagi カテゴリー マナー