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『式典』は美しい

弥生3月、桜の開花を待ちながら、門出と別れのセレモニーが繰り広げられます。
私は、有難いことに、今年もいくつかの式典に参列させて頂きました。何れも気持の引き締まる、快い緊張感が伝わり、こちらまで身の引き締まる思いがいたしました。
とりわけ素晴らしいと感じたのは、近隣の小学校の『卒業証書授与式』でした。(以下卒業式と致します)この小学校とのご縁は随分長く『卒業式』や『入学式』にお招きを頂くようになり、かれこれ20年が過ぎました。多分、数回は参列できなかったことがありますが、ここ10年は「学校ボランティア土曜授業の茶道」の教え子数人が毎年卒業を迎えますし、また、5年前からは、6年生全員が授業の一環として茶道体験をしに来てくれますから、毎年6年生一人一人の門出を祝いたいと思って出掛けることにしています。
卒業生の服装は私服ですが、『晴れの場』をきちんと意識したブレザー姿に、一人一人が思い思いのコーディネートをしています。(毎年一人くらいは変わった服装の子がいるのも事実ですが)赤いスカート、紺のスカート、ブルーのスカート。ネクタイを結ぶ子、髪にリボンをつける子…、その色も大きさも今日のために何度も鏡を見て決めたと思われるほどよく似合っています。いずれの学校の『卒業式』でも、毎年毎年感動を頂きますが、今年のこの小学校の『卒業式』には特に素晴らしい感動がありました。
それはなぜだったのでしょう…。
式典の間、なぜかしらんと考えていました。それは、担任の先生の袴姿と、卒業生一人一人の姿勢とお辞儀の姿だったと思います。
今年の6年生は3クラス。担任の先生は一人は男の先生、二人が女の先生です。男の先生はスーツでしたが、女の先生お二方は袴姿だったのです。卒業生を先導して入場したその先生は桜色の着物に紺色の袴をきちんと身に纏い、一歩一歩ゆったりと進みます。背筋の伸びた凜とした美しさでした。 その後ろ姿をみてか、 先頭の卒業生の姿もすらりと伸びて、 顔をまっすぐに上げ、目は前を見て晴れやかに入場しました。続く一人一人、皆が姿勢を直し、うつ向く児童が一人もなく、前を見て落ち着いて歩みを進めていました。
『卒業証書授与』では、一人一人が席を立ち、壇上に上がる前に来賓席に向かって一礼しますが、多分20年の中で一番美しく、心のこもったお辞儀だったのではないかと感じられました。照れの出る年頃の6年生。先生の指導はなかなか発揮されるものではありません。また、厳しくしてもできるものでもありません。かえって反発する年頃です。その難しい年頃の児童たちが、こんなに清々しくお辞儀をして壇上に上がる…。凛々しく美しい姿に感動したのは私だけではなかったようでした。
 卒業式に袴姿で先導された先生方の日頃の指導のあり方が垣間見られるような気がいたしました。学習指導や生活指導への思いやその取り組みが現れているように感じました。茶道体験の授業の折にも拝見している6年生の先生と児童の関わりの様子。授業参観の折々、廊下ですれ違う時々…といろいろ思い出してみました。スーツ姿なら簡単な準備で済むものを、袴姿となれば、袴はもちろん、着物、帯、足袋、草履、襦袢…、美容院の手配、雨具の用意……と。ひと手間もふた手間も加えなくてはなりません。
児童たちの門出の晴れの日に、担任の先生方が揃えたのは、袴や着物ではなく、そこに込めた子どもたちへの思いだったのでしょう。
晴れと褻が薄れてしまっているように感じる昨今。『晴れの場』や『式典』は「堅苦しい!」とされ、次第にカジュアル化されているように感じます。『晴れ』は『褻』の積み重ねの上にある『貴い日』だと、この小学校の式典を見て感じました。だからこそ、『晴れ』と『褻』は一緒にしてはならないと思います。
この日、外は冷たい雨の降る、寒い『卒業式』となりました。しかし、体育館で執り行なわれた『式典』は美しく、清々しい、心の暖まる『素晴らしい式典』でありました。
私は、この子たちの将来に希望の光を感じながら、どの子も今日の日のように心に曇りのないまっすぐな人生をいつまでも歩んでほしいと心から願いました。

冠婚葬祭マナーコンシェルジェの日記 作者 usagi カテゴリー 季節の行事

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2009年04月06日 14:34に投稿されたエントリーのページです。

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