
叔母(83才)と主人と三人で、叔母の希望もあり山梨県立文学館に於いての、開館20周年記念「樋口一葉と甲州展」を観覧しました。イチョウ並木が黄色一色に色づき、秋たけなわの暖かな一日です。少し早めに出掛けたおかげで、館内はすいていましたが、三人共マスクを付けて入館しました。
樋口一葉は、明治の文学者としてあまりに有名ですが、詳しくは知らず、一葉の祖父、父母が山梨県塩山市の出身であったことで、今回取り上げられていたのです。(後に江戸また東京府に出、武士また役人となり豊かな生活をしていた) 会場に入るとすぐ、大きな風景の写真が三枚飾られ、一つ一つの脇に一葉の流れるような文章と文字は作品の一片で、斜め下には現在の写真と説明が掲げられています。
・東京の人なりとて容貌うるはしく、心やさしければ生徒なつきて、桂木先生と誰れも
褒めしが、下宿は十町ばかり
雪の日
・我が家の比に法正寺を呼ぶ寺の離室を仮ずまいなりけり
花ごもり
・先祖が生国ときく甲斐の差手に磯千島が千代が八千代となく景色さぐりかてら厭気の
出づるまで彼のあたりの山家にはしばし引きこもらんという
ゆく雲
美しい文章と題名がカラーの写真と共に目に入り、私達を“文学の世界にどうぞ”と手招きされたような気がしました。次の部屋より一葉の家族と家系、歴史、生い立ちと続きます。幼い頃より本の好きだった一葉、家は豊かな生活でしたが、女性の生き方として針仕事、家事の見習いなどさせたほうが良いとの思いから、小学校までしか学問を学ぶことが許されず、しかし学問を続けさせてやりたいという父の気持ちから、14才の時、歌人中島歌子の塾(荻の会)に入門します。
九つ計の時より我身の一生の世の常にて終らむことなげかはしく「あはれ、くれ竹の一ふしぬけ出でしかな」とぞあけくれに願いける
「塵之中」明治26年
「なんとかしてふつうより一歩ぬけ出したすぐれたものにしたい」といつも願っていました。
一葉の才能と人柄が認められのち先生の助手をつとめます。しかし、兄、父とつぎつぎと亡くなり、一家を一葉が支えなければならなくなり、19才で作家の半井排水を訪ね、小説を収入の道として書き始めます。一葉の小説を認めてくれる人も出てきましたが、原稿料だけでは生活できず、借金や質屋通いをすることも多くなります。そして一葉のいよいよ小説「大つごもり」「たけくらべ」「ゆく雲」「にごりえ」「十三夜」などの作品が発表となり、森鴎外や幸田露伴も絶賛しますが、この頃より一葉は肺結核となり、病気は重くなるばかりでしたが、床についたまま書き続けたといいます。明治29年11月23日、その生涯を閉じました。24才でした。
小学校までしか学問をすることが出来なかった一葉が、懸命に文学に勉強に励み、その文字と文章の美しさに感動を覚えました。叔母とうっとりしました。どの世界でも、人に見えないところでどれほどの努力がなされたかで優劣が決まるのだと知りつつも、若くして散った一葉の一生が、現代までもその輝きを放ち、すばらしくまた、哀れで悲しいのはなぜなのだろうかといつまでも心に残りました。
冠婚葬祭マナーコンシェルジェの日記 作者 コラールピンク カテゴリー 情報
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フォト : 樋口一葉