
60年にわたって日本文化の一端を担っていた歌舞伎座が閉館したことは知る限りである。31年間勤めた、歌舞伎座の最後の支配人は、「人生の半分以上をこちらで過ごした。淋しさはひとしお。」彼は毎日座内の神社で、舞台の安全を祈願していた。
銀座のシンボル、いや日本文化のシンボルとして存在していたが、3年後に複合施設として登場、完成図がお目見えである。独特の風貌を放っている「唐破風」屋根は継承され、使えるものはなるべく「受け継ぐ」ことが役目であると、建築家は言う。
江戸が今も生きている歌舞伎座は、数々の名場面、人間国宝が舞台を飾った。スカイツリーが高くなるのと引き換えに、千秋楽の日は日を追うごとに少なく、ここに足を運び、淋しさと感動の入り交じった時を過ごした。
親に連れられ、初めての歌舞伎は、歌舞伎18番のひとつ先代萩、舞台上の子役のセリフは、「侍の子というものは、腹が減ってもひもじゅうない…」。12才の私はこのセリフに、父親の「人の物を欲しがらない、人に媚びない、我慢をする、正座をして人の話しは聞き、自分も話すこと」と育てられており、舞台でのことと我が日常と重ねて感動したものであった。その後、幾度も母や姉と、ひとりでも足を運び、ハレの日を楽しんだ。
「御名残 歌舞伎」が16ヶ月にわたってスタートしてから、連日、満員に湧いた。今年の3月、4月は3回公演にて、名場面の江戸歌舞伎を披露。中村芝翫は、「帰る自宅のような劇場」といっておいでだ。(芝翫は先代萩で乳人浅岡を演じている)そして、「3年は長い、早く出来て欲しい…」とも。 助六で締めた団十郎は、「さみしさの中で、時代が変っていくことを、複雑なないまぜの気持ち」と言っている。
座の入口左手の甘栗屋は、「46年間別世界であった」とこの度、店をたたむ。
時には月に3回座に足を運び、1階から2階、そして3階の奥からと席を変えて、舞台に役者に魅了され、醍醐味を堪能。私のハレの日は続いた。さよなら公演は、社会的な現象となって、歌舞伎座は有終の美を飾ったのである。
冠婚葬祭マナーコンシェルジェの日記 作者 Rainbow カテゴリー 文化
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フォト : 歌舞伎座