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2007年06月11日

衣かえ(日本独特の風習)

〜衣かえ〜
 「いずれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひ給ひける中に…」と
いうのは「源氏物語」の有名な冒頭の文ですが"更衣"(こうい)とは天皇の
衣かえをつかさどる女官の呼び名、衣かえは古くは旧暦の四月一日にお
こなわれた行事で、宮中では、衣服だけでなく、几帳(きちょう)などの室内
調度品まで、すべてを夏物に変えました。
 わが国は四季の移りかわりがはっきりしていますので、これに合わせて
きものを変えて楽しむ風習が生まれたのでしょう。
 現代の衣かえは六月一日から単衣(ひとえ)仕立ての夏衣(なつころも)とな
ります。
 この衣かえは季節の行事であり、それを守り通すのは日本人の本質に合っ
ていますし、日本の季節感と行事と衣服は大切にかかわりあっています。
同じ衣服で間に合う国がありますが、日本の草木が表現する季節の色彩、
豊かなわが国の衣生活の美意識を知りますと、喜びに堪えません。
 歌舞伎や映画で見ることの出来る衣服にそれらを見い出したとき、知る
ことの大切さを、そして表現出来る喜びを痛感いたします。
現代生活の中では、色、柄、材質を考え、T.P.O.にあわせた装いの中に
季節感を表現していきたいものです。

冠婚葬祭マナーコンシェルジェの日記  作者 いしいようこ  カテゴリー 祭

2007年06月13日

六月十六日は「和菓子の日」

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東京の和菓子店にも六月十六日には嘉祥饅頭(かじょうまんじゅう)が
店頭に並びます。「嘉祥」とは、めでたい時に身近にある菓子七種を盛
って祝います。

起源については諸説があり一定していませんが、その一つに八六七年
の陰暦六月十六日に「嘉祥喰」(かじょうくい)と呼ばれた行事が行なわ
れたと記されています。十六個の菓子や餅を神にお供えし、それを食し
て疫病が人体に入らぬよう祈誓(きせい)しました。室町時代には、武家、
朝廷ともに行っていたことが知られ、江戸時代に公武ともに最盛期を迎
えます。ことに幕府では、重要な行事として位置づけられ、大名や旗本
は江戸城へ総登城し将軍から菓子を賜わるという内容のもので、江戸
城の大広間五百畳に二万六百八十四個の菓子が敷き詰められたとの
ことです。

古い行事を知ることも楽しいものです・・・・・・・・・


冠婚葬祭マナーコンシェルジェの日記  作者 いしいようこ  カテゴリー 祭

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写真はとらやの嘉祥饅頭を撮影したものです。


「和菓子の日」参考ホームページ

とらやホームページ
徳川家康と嘉祥 (かじょう)

和の学校
嘉祥菓子

東京・銀座 清月堂本店
和菓子の由来

全国和菓子協会
和菓子の日

2007年06月14日

" COOLBIZ "はクールでクールに

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私の夫は服装に無頓着なので、6月に入ってからのクールビズは適当なものです。
もう少し色や全体のバランスを気にしてくれないかしら・・・と思うのですが・・・。
でも、これは私のお役目でもありますね(笑い)。
たまたま通りかかった新宿の地下道で興味深いものを見つけました。

COOLBIZ EXECUTIVES (クールビズ エグゼクティブズ)

と題して、ずらりと並んだポスター。安倍総理と若林環境大臣を始め、
その他81の企業のトップの皆さんがクールビズを身にまとい、前身で
アピールしているのです。 東京駅前の新丸の内ビルディングでも、同じ
くポスターが展示されていたようです(こちらは見逃してしまいましたが)

ポスターの中の皆さん、
本当に笑顔が爽やかで清々しい!そして若々しい!

男性はライトブルーなどの淡い色や白地にストライプのボタンダウンの
シャツ、ズボンは濃紺やグレー・・・というコーディネートが多かった
ようです。もちろん女性の姿も見つけましたよ。数名でしたが、とって
もエレガントで控えめ、好感度バツグンでした!いかにもビジネスとい
うカチッとしたデザインではなく、優しいラインを生かした白やピンク
のジャケットを着用。あるいは、白のインナーに寒色系のストライプの
長め丈ブラウスをジャケット代わりにしたり、それぞれの自分らしさが
素敵に演出されていました。
男性も女性も、日頃のビジネスジャケットを脱いだだけで一応はクール
ビズになりそうですが、それだけではつまらないですよね。
おしゃれ心というか、自分らしい個性を出せる絶好のチャンスです。
もともと“おしゃれ”というのは、他の人とは異なる自己表現がポイン
トの一つ。もちろん、職場で着用するのですから、単なる自己満足では
大人のビジネスパーソンとはいえません。それを踏まえた上で、全体の
シルエットや色、素材、組み合わせ方などで自分だけのエキスをちょっ
ぴり加えればOK。
6月1日の衣替えの日には政府の全閣僚が閣議で色とりどりの沖縄
シャツ「かりゆし」姿で登場しました。なるほど、堅苦しさが消えて
風通しもよさそう。

「かりゆし」は「縁起が良い」という意味の沖縄の言葉だとか。

地球環境を守る目的につながる優しい言葉です。
オフィスの冷房温度を28℃に設定しても、なかなか快適に過ごす
ことはできません。

少しでも心地よく過ごせるように
COOLBIZをクールで(涼しく)、クールに(カッコ良く)
着こなしたいですね!


冠婚葬祭マナーコンシェルジェの日記 作者 Nyan カテゴリー マナー・祭

2007年06月15日

着物を着ていたら・・・

先日、着物を着て、恵比寿駅へ向かう途中、若い女性に声をかけられました。
何かと思い立ち止まると
「実は、明日着物を着るのですが、絽はまだ早いでしょうか?」
とのお尋ねでした。
話しを要約するとーその女性は、明日、ロシア大使館での昼のパーティーに
着物で出かけるまだお若い外交官夫人で、3ヶ月前に中東から帰ったばかり
とのこと。「あちらでは暑いので絽ばかり着てました。明日もかなり暑くな
るようですが、絽は早いでしょうか…?  突然このようなことをお聞きして
失礼かとは存じますが、とてもきれいに着ていらっしゃるので教えて頂けた
らと思い」と

 ☆まずは、「着物をきれいに着ている」といわれるのは、まだまだ修行中
の身ながら、素直にうれしいことです。
この場合の「きれい」とは「きちんと」という意味でしょう。
文化を伝える活動をしている身として、面目躍如(めんもくやくにょ)とい
うことになります。
 ☆次に来る思いは、単にきれいに身に纏っていればよいということではな
い『知識も纏わなくてはならない』という責任みたいなものであります。
私も勉強中です(^_^;)

 このお若い女性は中東に赴いている間、絽の着物をずいぶんたくさんの場
でお召しになったのでしょう…。
凛としたその方の中東でのお着物姿が浮かぶようでした。

 通りすがりの短いやりとりでしたが…『着物を着るということは文化を身
に纏うことでもある』と改めて実感した瞬間でした。

さて、
次の日にあの女性はどのようなお姿でお出かけになったのでしょうか……。


冠婚葬祭マナーコンシェルジェの日記 作者 usagi カテゴリー マナー・祭


 コンシェルジェusagiの番外編

 私のその時のこたえは
 「着物は遅れるよりも少し先取りするくらいがよいといわれますが、
6月も終わり頃になれば絽もよいでしょうが、明日はまだ早いと思います。
単でも涼しげな色を着るとか、模様を先取りするとか、見た目に暑さを感
じさせないようになさればよろしいかと思います。」「しかしながら、
日本の文化をお伝えできるお立場にある方ですので、然るべき方にお聞き
になった方がよろしいかと思いますが…」と付け加えました。

2007年06月20日

June Bride なんと美しい言葉なのでしょう!

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六月の花嫁「June Brideは幸せになると言う」
六月の守護神Junaは愛の女神です。
その月にWEDDINGすると、生涯愛の女神に守られ幸福な人生が
得られると言う伝説がヨーロッパにあります。
日本でも20年ぐらい前からでしょうか、六月に結婚式を挙げるカッ
プルが多くなりました。皇室の皇太子様、秋篠宮様方も古式ゆか
しいスタイルにて六月に御婚儀がなされておいでです。
ヨーロッパの六月は一斉に愛の白い花が咲き、一年中で一番素
晴しい初夏が訪れます。まさに麗しい季節として人々に愛されて
います。
この美しい季節に、新たな人生のスタートをきることはヨーロ
ッパのみならず、世界中の人々も同じように考えるのでしょう。
このはじまりの美しい季節の中で、いっそう美しく、明るく、軽
やかに輝く姿は、ステキに思い出のいちページとなります。
ヨーロッパの春から初夏を迎えるまちのぞんだ気持ちでもあるよ
うです。
19C ヴィクトリア女王のウェディングの白、レースのベール、
髪にはオレンジの花冠(リース)が飾られ、それは上流階級の女性
に影響を及ぼしました。そして故ダイアナ妃のあの美しいウェデ
ィングドレスのお姿は目にやきついてやみません。いつの時代も
希望や期待に胸をふくらませあこがれる姿は共通です。
 ウェデイングドレスにまつわるヨーロッパの幸運のおまじない
を一言。
※ 白いベールは邪悪から身を守る為に
※ シューズの中に金貨をしのばせると富に恵まれる
※ 手袋の中にお砂糖をほんの少しかくすと甘い生活を約束され
※ サムシングフォーの習慣は
 Something New
 Something Old
 Something Blue
 Something Borrowed
と、それぞれに意味をもち、今も大切な習慣として守られています。
加えて、六月の誕生石のパールを身につけ長寿と富、そして健康
を祈ります。
 最後にJuneの語源として
 ローマの名門Junius(ユニウス)から
 ローマの軍人となるJuniores(ユニオーレス)の月であるから
と、このようにも書かれています。


冠婚葬祭マナーコンシェルジェの日記  作者 いしいようこ  カテゴリー 祭

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写真はイメージ写真です。 (旧軽井沢 ホテル音羽の森)

2007年06月29日

「夏越の祓」(なごしのはらえ)六月三十日

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風そよぐならの小川のゆふぐれは
             みそぎぞ夏のしるしなりける
                  藤原家隆(新勅撰和歌集)
家隆は定家と並び称された歌人である
風がそよそよと吹いて楢の葉(ならのは)をそよかせている
ならの小川(京都上賀茂神社の境内を流れる小川)の夕暮
はまるで秋のような気配となっているが、皆が川に入って
六月祓(みなつきはらえ)の禊(みそぎ)をしている様子だけ
は夏のしるしであることだよ。
夏越の祓は、夏の終わりの宮廷行事である。清浄を好む日
本人は折節にふれ、ケガレや厄を祓いました。暦の上で夏
の終わりとなる六月晦日(みそか)には水辺で禊(みそぎ)を
したり茅の輪(ちのわ)をくぐったりして、夏越祓いをおこなって
いました。
これは十二月の大祓いと同様、新しい季節を迎えるための
儀式であって、六月の終りになると各地の神社では水無月
(みなつき)の祓いといって、
茅輪を左足右足の順で踏み入れては出ることを三遍くりか
えしながら「水無月のなごしの祓いする人は、千年(ちとせ)
の命延(のぶ)というなり」
と古歌を唱えてくぐりました。
天皇は清涼殿の裏側に天皇がつかわれる茅輪が用意され、
右手に麻の葉をもたれ、茅輪をくぐられたそうです。この
あと女官や女中たちに下され、あちこち廻されて皆がつぎ
つぎにくぐって心身を淨めたとのこと。
平安時代には家々でもおこなわれるようになりました。
赤坂の日枝神社でも境内には大きな茅輪が用意され、参拝
者は古き時代の神事に身を重ねることが出来ます。
季節を感じて古(いにしえ)におもいを寄せることも大切で
文化的な習慣ではないでしょうか。
そして6月30日に「水無月」というお菓子を食べる慣わ
しがあります。水無月は白の外郎生地に小豆をのせ、三角
形に包丁された菓子ですが、それぞれに意味がこめられて
います。水無月の上部にある小豆は悪魔払いの意味があり、
三角の形は暑気を払う氷を表しているといわれています。


冠婚葬祭マナーコンシェルジェの日記  作者 いしいようこ  カテゴリー 祭

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写真はイメージ写真です。菓子「水無月」

2007年07月06日

七夕(しちせき)七月七日

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天の川に隔てられた牽牛と織女の年に一度

出逢う、なんともロマンチックな秋の夜空

の星ものがたりこの中国の伝説は 技芸上

達を二星に願う風習をもとに奈良時代の宮

中に伝わりました。江戸時代になると七夕

は民間にも広まり、お盆の行事とも結びついてさまざ

まな慣わしが生まれました。

現代に息づく七夕の伝統的な楽しみ方に京都では雅な

紙衣を飾る習慣を「七夕さん」と呼んで女の子たちが

裁縫の上達を願ってミニチュアのきものを紙でつくっ

て飾っていました。

松本では子供が健やかに育つように七夕さまに着物を

「お貸せ」して、七夕人形は初子の誕生を祝うおくり

ものでした。

「小袖がたくさんもらえるように」「良縁に恵まれる

ように」と願ったといいます。又、七夕には梶の葉

(かじのは)がつきものですが、梶の葉は墨つきがよい

ので古くから七夕に詩歌などを書いて供えることが

行なわれました。

平安時代の「後拾遺和歌集」に「天の河とわたる舟の

かぢのはに思うことをも書きつくるかな」(上総乳母)

と舟の舵と梶の葉をかけて、七夕に梶の葉に自分の

思うことを書きつけることを詠んだ歌があり、江戸

時代の京都では七夕に梶の葉に歌を書いて二星に

献上することが広く行なわれていました。

宮中に伝わる「乞功尊」(きっこうてん)と家々に伝わ

る七夕はそれぞれに時代の中で奥ゆかしい習慣として

生きつづけています。今年も短冊に願いを書いて笹に

吊るした風情ある姿をあちこちで見ることができます。

冠婚葬祭マナーコンシェルジェの日記  作者 いしいようこ  カテゴリー 祭

2007年07月26日

夏を彩る花火(7/28は隅田川の花火大会)

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七月二十八日は隅田川の花火大会 
なんと22,000発も打ち上げられるのです。

花火の夏がやってきました。
夏を彩る花火には一瞬の美しさに賭ける花火
師達の心意気も詰まっている。
火薬とともに日本の花火は世界でもトップレ
ベル、火と色の織りなす一瞬の芸術に花火師達は精魂を傾ける。寸分も
乱れずに咲かす職人芸、もちろん天候に左右されるし、風の災いも大き
い、カンレキを祝って打ち上げ、生まれてきたことに感謝しながら元気
にコキにも再びと、ニュースになったことも耳に新しい。
感動と感激、夏の花火には一瞬にして”人生そのもの”でもある。
我国で最初に花火を打ち上げられたのは、慶長十八年徳川家康が秀忠に見
せるためであった。隅田川の打ち上げ花火は江戸時代から有名である。
最初は悪霊ばらいの水神祭であったが、のちに納涼の川開きを祝して打ち
上げられるようになる。
今はなき「両国の川開き」とは、なんと懐かしいひびきであろう。花火見
物には昔も変わらぬ老若男女、今と変わらぬほどの人々が川端に、橋の上
にもすずなりに、寺や人家からも、そしてあの屋形船からも、一瞬をなが
めたものである。
「混雑の時は、肩引きですれ違い、ぶつからない配慮をして江戸の混み合
う下町では「肩引き」さえすればお互い人として尊重し思いやる挨拶とし
て通用していました。肩引き腕引きとぶつからないしぐさは混雑ではごく
自然の行いであったのです。」

「玉や!」と大輪の菊やぼたんの見事にきそいあう様に声をかける。大舞台
のむこうから、千両役者に声をかけるごとくに。
浴衣姿の家族づれ、若い似合いのカップルの帯にはさんだそろいの役者ウ
チワを目にしたり、昔も今もブラボー!とワクワクする季節でもある。


冠婚葬祭マナーコンシェルジェの日記 作者 いしいようこ カテゴリー 祭

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フォト : フリーフォト 花火

2007年07月31日

八朔(はっさく)八月一日

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八朔(はっさく)は柑橘系の果実ではありません。
古くは八月一日に物品を贈答して祝する日。
農家ではその年の新しい穀物を取り入れて祝いをする日。
朝廷や幕府がこの式を始めたのは鎌倉時代ごろと言われ、
徳川時代に幕府の重要な行事となっていました。
江戸時代は天正十八年八月朔日(ついたち)だったので
「八朔」といって、幕府にとっては式日となり、庶民にとっ
ては祝日となる。この日は諸大名や直参旗本は江戸城
に登城して将軍家に忌諱を申し上げていた。(武家の
間では主に下級武士が上役に対して贈答する習慣が
あった)
諸大名は白帷子(しろかたびら)、長袴を着用し、太刀、
馬代をお祝いとした。
またこの日は吉原の花魁(おいらん)たちも白無垢の
小袖を着て花魁道中をしていた。
五節句と等しい佳節となったのである。武家社会の
故実をひもといてみたのだか、温故知新、慣習は社
会の変化とともに様子を変えながらも、いきづいて
いる。
ちなみに「武江年表」には開巻第一頁が八朔で始まっ
ている。【1590年天正十八年八月一日、台駕はじめて
江戸の御城へ入らせ給へり。その頃の城の辺りは、
葦沼等で田畑も多からず、農家寺院も少なく、所々に
散在し、慶長に至って始めて山を裂き地をならし、川
を埋め溝を掘り、士民の所居を定た、やがて万世不
易の大都会となる。】とある。
泰平の世のはじまりはこうして、私達の想像に及ぶも
のではないが、百万都市となったのであるが、古(いに
しえ)におもいをはせて遠い時代をひもとくのも、何とも
興味深いことではないだろうか。


冠婚葬祭マナーコンシェルジェの日記 作者 いしいようこ カテゴリー 祭

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フォト : 定本「武江年表」(上・中・下あり)
マナー文化教育協会のマナー推薦本でも紹介しています。
http://booklog.jp/users/manaken

2007年08月13日

お盆〜日本ならではの仏教行事〜

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祖先供養のこの時期をお盆といい、新暦の7月15日を中心に行う地域と、8月15日に行う地域とがあります。
お盆は精霊会(しょうりょうえ)、盂蘭盆会(うらぼんえ)などともいい、精霊とは祖先の霊のことで、盂蘭盆会とは梵語のウラバンナではなはだしい苦痛を意味します。釈迦の弟子の目連の母が餓鬼道に落ちて苦しむさまを見て、それを救う為に7月15日に供養をするようにとの釈迦の教えの話に由来します。
手厚く供養をして極楽浄土にいくことが出来たことからこの行事が生まれたといわれますがこの行事と我国の祖先信仰とが融合して日本ならではのお盆の習慣がつくられました。
お盆の始まる13日の夕方、精霊迎えといってオガラと呼ばれる皮をはいだ麻の茎を折ってつみ重ね火を燃やし先祖の霊を迎えます。
仏壇の前に盆棚を設け、初物の果物、野菜などを供え、キュウリやナスで作った馬の人形を飾ります。これは霊が馬に乗って「この世」に帰ると考えられるからです。僧侶を招いて読経をしてもらうなど盛大に供養しますが、とくに新仏の出た家では新盆(にいぼん)と呼び特別の提灯を飾ったり故人と親しかった人たちを招いて手厚く供養する習わしです。
16日には送り火を燃やし祖先の霊を送り出します。「精霊流し」は盆棚に使った野菜や果物を川や海に流すことをいいますが「灯籠流し」を行う地域もあります。
盆踊りも祖先の供養をするためのものでした。この時期に全国至る所で行われるのもこのことに由来します。
最近では寺に墓がある檀家の為に寺主催のお盆供養が行われるところも出てきました。「施餓鬼会(せがきえ)」といい施主が先祖に向けて施餓鬼をする行事です。これは今様の理解ではご先祖に対するお便りといわれ、手厚く供養することになるとのことです。一同に会しての施餓鬼会は荘厳で仏心からなる説教をお聞きすることが出来ます。
迎え火は門前にてたきますが、地方によってはお墓に出むいて我家へ霊を迎えるところもあります。
またお盆の期間中は燈明や線香は絶やさないように気をつけます。僧侶を招いた場合は茶果でもてなし「お布施」または「志」と書き、お布施を用意します。


冠婚葬祭マナーコンシェルジェの日記 作者 いしいようこ カテゴリー 祭

2007年09月06日

重陽の節句(ちょうようのせっく)

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九月九日の重陽は五節句の一つです。
九の数は陽の極で九が重なることから長久にも通じると喜ばれ古来いろいろの行事が催されていました。
旧暦にしますと菊のさかりの頃から菊の節句とも言われ菊花の宴が催され菊を飾り菊酒を楽しんでいました。
重陽の行事は中国にはじまり、日本では平安時代から行われ長寿を願う祝日として江戸幕府の式日となり、しだいに一般庶民にも菊の節句を祝う風習が浸透してゆきました。
〜菊の着せ綿〜
前日の夕方、菊の花に綿をかぶせ旭の朝、朝露にぬれたその綿を親しい人ととり交わす。この露でぬれた綿で肌をぬぐうと老いが去るといわれ、この雅る風習は平安時代の女房社会でさかんにおこなわれるのでした。枕草子に「九月九日は、暁方より雨少し降りて、 菊の露もこちたく、覆いたる綿なども、いたく濡れ、うつしの香ももてはやされたる」とある。
現代では菊は香りを楽しみ、味わうだけでなく、和服や、調度品にも模様化されてその高貴な姿が描かれ親しまれています。謡曲「菊慈童」はこの季節に能楽堂にて上演されます。

『五節句とは江戸幕府が定めた式日で、七草の節句、桃の節句、菖蒲の節句、七夕の節句、菊の節句をいいます』
皆様は何に関心をおもちでしょう…!


冠婚葬祭マナーコンシェルジェの日記 作者 Rainbow カテゴリー 祭(年中行事)

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フォト : 菊のアップ画像(フリーフォトより)

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